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神戸地方裁判所 平成9年(ワ)2053号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

荒井俊且

三木憲明

被告

高山電設株式会社

右代表者代表取締役

斎寺義彦

主文

一  被告は、原告に対し、八八一万二九〇〇円及びこれに対する平成九年五月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する平成九年五月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 被告は、電気設備の設計、施工等を主な目的とする株式会社である。

(二) 甲野太郎(以下「太郎」という。)は、被告に取締役兼従業員として勤務していた者であるが、平成七年一二月三日、被告の従業員として神戸市中央区内でビル改修工事に従事していた際、はしご上で作業中にバランスを崩して転落し、アスファルト地面に頭部を強打したことにより(以下「本件事故」という。)、同月七日、急性硬膜下血腫及び脳挫傷により死亡した。

(三) 原告は、太郎の妻であり、太郎には他に相続人はいない。

2(保険契約及び保険金の受領)

(一) 被告は、平成元年三月一日、大同生命保険相互会社(以下「大同生命」という。)との間で、太郎を被保険者、被告を受取人とする次の内容の団体定期保険契約(保険証券番号〈略〉。以下「本件保険契約」という。)を締結した。

保険期間 六年

保険金額 死亡保険金 五〇〇万円

災害保険金 五〇〇万円

本件保険契約は、平成七年三月一日、契約内容は従前のまま更新された。

(二) 被告は、平成八年二月一五日、太郎の死亡により、大同生命から、本件保険契約に基づく死亡保険金及び災害保険金計一〇〇〇万円の支払を受けた(以下、右死亡保険金及び災害保険金を併せて「本件保険金」という。)。

3(本件保険契約の趣旨について)

(一) 本件保険契約は、団体生命保険と呼ばれる類型の保険契約であり、事業者が保険契約者及び保険金受取人となり、その従業員を被保険者とし、被保険者の死亡を保険事故とする保険である。

(二) 団体生命保険は、企業の従業員の死亡による遺族への死亡退職金及び弔慰金の支払に備えるなど従業員の福利厚生を図る一方、企業にとっても、税務上、保険掛金を損金として計上できるなどの利益を図る目的で締結されるものである。したがって、団体生命保険は、右目的の範囲内においてのみ有効というべきであって、保険事故(従業員の死亡)が発生した場合に、会社が右目的を超える保険金を取得することはできない。

(三) 団体生命保険においては、被保険者の同意が効力発生要件とされている(商法六七四条一項本文、以下、同条項により要求される同意を「被保険者同意」という。)。その趣旨は、当該保険契約が賭博又は投機の対象とされることを防止すること、また他人の生命を評価して取引の対象とすれば、他人の人格を無視し公序良俗に反するおそれがあることから、被保険者の真意に基づく同意によってはじめて当該保険契約の社会的相当性を認めることができることにある。被保険者同意が要求される右の趣旨は、保険契約の成立を規律するに止まらず、保険契約の解釈においても斟酌されるべきである。

4(原告の被告に対する請求権)

(一) 主位的請求(死亡退職金等としての請求)

太郎は、死亡当時、被告の従業員であったところ、本件保険契約締結の際、被告と太郎の間で、太郎が死亡した場合には本件保険金相当額を同人の遺族に対して死亡退職金及び弔慰金として支払うことが合意された(以下「退職金等支払合意」という。)。

したがって、太郎の相続人である原告は、退職金等支払合意に基づき、被告に対して本件保険金相当額である一〇〇〇万円の死亡退職金及び弔慰金の支払を請求することができる。

(二) 第一次予備的請求(合意に基づく保険金引渡請求)

団体生命保険の前記制度趣旨に照らせば、本件保険契約の締結に際し、被告と太郎の間で、太郎の死亡等の保険事故が生じた場合には、被告が受領した保険金を太郎ないし同人の相続人に引渡すことが合意された(以下「引渡合意」という。)ものというべきである。

したがって、太郎の相続人である原告は、引渡合意に基づき、被告に対して、被告が受領した本件保険金の引渡を請求することができる。

(三) 第二次予備的請求(不当利得返還請求)

本件保険契約中、被告を保険金受取人に指定する部分は、公序良俗に反し無効である。すなわち、太郎は、本件保険契約締結に被保険者同意をするにあたって、本件保険金が原告に支払われ、太郎死亡後の原告の生活保障が図られると考えていたのであって、本件保険金の受取人を被告とする意思はなかったのである。したがって、太郎の右真意に反し、被告を本件保険金の受取人とする指定は、社会的相当性を欠き公序良俗に反し無効であり、本件保険金の受取人は指定されていなかったものというべきである。そうすると、本件保険契約上、保険金の受取人として配偶者である原告が指定されたものとみなされる(団体定期保険普通約款三五条)。

したがって、原告は、被告に対し、本件保険金相当額の不当利得返還請求権を有する。

5(原告の被告に対する請求の経緯)

原告は、平成九年三月四日、被告を相手方として、前記の請求権に基づき、本件保険金額(当時は不明)を下限とする金員の支払を求めて神戸簡易裁判所に調停の申立をし(同庁平成九年(ノ)第一六三号)、同年五月六日(第一回期日)以降、被告が出席して調停期日が開かれたが、原(ママ)告が支払を拒絶したため、同年八月二一日、不成立となった。

6(結論)

よって、原告は、被告に対し、主位的には退職金等支払合意に基づく退職金及び弔慰金として、第一次予備的には引渡合意に基づき、第二次予備的には本件保険金受取人指定の無効に基づく不当利得返還請求として、いずれも被告が受領した本件保険金相当額の一〇〇〇万円及びこれに対する原告の右金員請求の意思表示が被告に到達した後である平成九年五月六日(第一回調停期日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

(認否)

1 請求原因1(一)の事実は認める。

同1(二)の事実のうち、太郎が、平成七年一二月三日転落事故に遭い、同月七日死亡したことは認めるが、右事故の態様等は知らず、右事故当時、太郎が被告の従業員であったことは否認する。

同1(三)の事実は不知。

2 同2(一)及び(二)の各事実は認める。

3 同3(一)及び(二)の各事実は不知。

4 同4(一)の事実は否認する。

同4(二)のうち、被告と太郎との間に引渡合意があったとの事実は否認し、この点に関する原告の主張は争う。

同4(三)の主張は争う。

5 同5の事実のうち、原告の主張する調停が行われ、不調となったことは認める。

(主張)

1 太郎が被告の従業員ではなかったことについて

(一) 太郎は、平成五年に被告を退職しており、その後は、同時期に被告を退職した佐藤忠博(以下「佐藤」という。)や永岡宏文(以下「永岡」という。)らとともに、被告などから電気設備等の下請工事を受注するため「佐藤電工」の名称でグループ(以下「佐藤電工」という。)を作り、その一員として、佐藤電工が受注した下請工事を個人で請け負って稼働していた。

(二) 太郎は被告の取締役となっているが、太郎の同意によって被告が太郎の名義を使用していたにすぎず、実質上取締役ではなかった。

2 本件保険契約の目的について

(一) 被告は、昭和六〇年ころ、従業員を被保険者として団体生命契約を締結したが、その際、被告の主要な従業員であった斎寺義彦(現被告代表者、以下「斎寺」という。)、佐藤、永岡、太郎は、同人らが事故等により休職した場合に、被告が受領した保険金を休職期間中の賃金に充当することを合意した。

(二) 太郎及び他の従業員は平成五年ころ被告を退職したが、その際、被告は、太郎らが被告の従業員ではないにもかかわらず、太郎らの同意のもと、同人らを被保険者として従前と同様の保険契約を継続した。これは、太郎らが、退職後は個人で電気設備工事を請け負うことになることから、同人らが事故等により死亡して人夫賃などの債務が残った場合に、被告が受領した保険金を太郎らの右債務の弁済に充当してもらいたい旨を希望し、被告が了承したものである。

三  抗弁(主位的及び第一次予備的請求に対し)

1  精算合意

(一) 被告は、太郎が被告を退職した平成五年ころ保険契約を継続するにあたって、太郎との間で、被告が受領する本件保険金から同人が支払義務を負う人夫賃などの金員を支払い、その残額相当額を同人の遺族に支払うとの合意をした(以下「精算合意」という。)。

(二) 太郎は、平成七年ころ、被告の下請として神戸市中央区内の龍花園ビルなど三か所の電気設備工事(以下、これらの工事をまとめて「本件各工事」という。)を行うにあたって、被告に対し、応援のための人夫の派遣を要請した。被告は、太郎の要請に従い、和商店、佐藤電工、有限会社創作舎(以下「創作舎」という。)に依頼して本件各工事現場に人夫を派遣した。このような場合、人夫賃の支払義務は、第一次的には応援人夫を要請した太郎が負い、太郎は、右応援人夫賃として、和商店に対し、五八万七一〇〇円、佐藤電工に対し、一七五万一〇〇〇円、創作舎に対し、七〇三万八九〇〇円の債務を負った。

(三) 太郎が右応援人夫賃債務を支払わないまま本件事故により死亡し、被告がその支払請求を受けたため、被告は、前記精算合意に従い、太郎に代わり、被告が受領した本件保険金から次のとおり合計九三七万七〇〇〇円を支払った。

(1) 平成七年一二月五日、和商店に対し、五八万七一〇〇円(〈証拠略〉)

(2) 平成八年六月五日、佐藤電工に対し、一七五万一〇〇〇円(〈証拠略〉)

(3) 平成七年一二月五日及び同八年一月一〇日、創作舎に対し、合計七〇三万八九〇〇円(〈証拠略〉)

2  一部弁済

被告は、太郎が本件事故により入院したころ、原告に対し、六〇万円を支払った。

四  抗弁に対する原告の認否

1  抗弁1(一)の事実は不知。

同1(二)のうち、太郎が被告に応援人夫を依頼したことは不知。太郎が人夫賃の支払義務を負うとの主張は争う。

同1(三)の事実は不知。

2  同2の事実は認める。

五  抗弁1に対する再抗弁(精算合意の無効)

本件保険契約は、団体生命保険契約であり、その前記の趣旨に照らせば、仮に被告主張のような精算合意があったとしても、右合意は、公序良俗に反し無効である。また、精算合意は太郎の真意によるものとはいえないから、被告がその効力を主張するのは信義誠実の原則に反し許されない。

六  再抗弁に対する認否

精算合意が公序良俗ないし信義誠実の原則に反するとの主張は争う。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(一)、2(一)及び(二)の各事実、太郎が平成七年一二月三日転落事故に遭い、同月七日死亡したこと、原告の主張する調停が行われたことは当事者間に争いがない。右争いのない事実及び証拠(〈証拠略〉、〈人証略〉の各証言、原告及び被告代表者各本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。原告の供述及び陳述(〈証拠略〉)、被告代表者の供述のうち、以下の認定に反する部分は採用しない。

1  太郎、永岡、中川晴雄、野原克己は、昭和五九年ころ、斎寺が受注した電気設備工事等を下請し、それぞれ個人で右工事に従事していたが、同人らの仕事の受注などを会社組織で行うこととし、同年一一月ころ、右五名及び高山邦寛(以下「高山」という。)らが発起人となって、電気設備の設計施工等を目的とする株式会社として被告を設立した。

被告設立後、右太郎ら(高山を除く。)は、被告の従業員ないし従業員兼取締役となったが、その業務は、被告代表者に就任した高山が受注した電気設備工事等を太郎らに割り振るという形態で行われ、給与は、被告の請負代金収入を集めて、社会保険料や雇用保険料を控除した上で、従業員である太郎らに一定の月額及び手当を支払うという形態であった。

したがって、太郎らが業務中の事故等で勤務できない場合には、被告の請負代金収入が減少することから、被告は、その間の給与の支払確保や被告の損害填(ママ)補のために、設立当初から被告を保険契約者及び受取人、太郎ら従業員を被保険者として団体生命保険契約を締結し、太郎らもこれに同意していた。そして、被告が受領する保険金のうち、給与分及び被告の損害を填(ママ)補した残額は、被保険者の従業員ないしその相続人に支払うことが合意された。一方、太郎ら従業員の退職金については、被告が加入した建設業退職金共済組合の共済金で支払われることとされていた。

2  被告は、前記趣旨で団体生命保険契約を更新、継続してきたが、平成元年三月一日、大同生命との間で、太郎を被保険者、神戸商工会議所を形式上の契約者及び受取人として、保険期間を六年、保険金額を死亡保険金及び災害保険金各五〇〇万円とする団体定期保険契約(保険証券番号〈略〉。本件保険契約)を締結し、平成七年三月一日には、本件保険契約を同内容で更新した。

3  平成五年ころから被告の経営が不調になり、同年九月ころ、斎寺と永岡、佐藤、太郎が話し合い、被告の事業規模を縮小し、斎寺を代表者として株式会社としての形態は残すものの、被告を事実上解散して、各個人が発注者から直接に、あるいは被告の下請として電気設備工事を受注して請け負うこととなった。その結果、被告の従業員は、斎寺及び事務担当の平野諒子(以下「平野」という。)の二名となった。

右太郎ら(斎寺を除く。)が被告を退職するにあたり、太郎らを被保険者とする団体保険の取扱いが問題となったが、太郎らは、これを継続して、同人らが業務上の事故等により死亡したり高度障害を負った場合、被告が、同人らが負担すべき人夫賃などの支払や同人らが負担する損害の填(ママ)補に保険金を充当し、その残額は、同人らないしその相続人に引渡すことを希望し、斎寺もこれを了承した。そして、その保険料は、被告が太郎らに支払う工事代金のうちから控除することとされた。

4  右太郎らは、そのころ、建設業退職金共済組合から退職金を受領し、また、平成五年九月一五日付けで被告を解雇されたとして雇用保険金を受領した。なお、太郎及び永岡は、被告を退職した後も、被告の取締役に就任し、平成七年一一月一七日に重任したとしてその旨の登記がされていたが、名目のみの取締役であり、その実体はなかった。

太郎は、被告を退職後、佐藤や永岡らとともに佐藤電工の名称で電気設備工事に従事した。佐藤電工は、佐藤が事実上のリーダーとなって結成された太郎ら電気設備工事の個人業者の集まりで、佐藤電工名で被告等から電気設備工事などを受注するものの、受注した工事は構成員が分担して請け負い、佐藤電工が被告等から受領する請負代金を構成員に分配していた。また、佐藤電工が太郎ら構成員に請負代金を分配するにあたっては、佐藤らの依頼により、平野が計算を行い、被告名が記載された用紙を用いて給与支払明細書を作成することがあった。

(原告は、本件事故当時、太郎が被告の従業員であった旨主張するが、右のように、太郎は、平成五年九月ころに被告を退職したのであり、その後、被告に従業員として復職したことを認めるに足りる証拠はない。〈証拠略〉《給与支払明細書》、〈証拠略〉《被告代表者が神戸東労働基準監督署長にあてた説明文書》には原告の主張に沿う記載があるが、前記認定のように、佐藤らの依頼により、被告の事務担当者が請負代金分配計算を行い、被告名の記載された用紙を用いて給与支払明細書を作成することがあったのであり、また、被告代表者尋問の結果によれば、被告は、太郎の平成七年九月から同年一一月までの被告名義の給与支払明細書を作成し、被告が太郎に給与を支払っていたかのように装って神戸東労働基準監督署長に対し、労働者災害補償法に基づく太郎の死亡給付金の支給を申請したことが認められる。したがって、右各書類の記載から、太郎が、右事故当時、被告の従業員であったことを認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)

5  太郎は、平成七年一二月三日、被告の下請工事である神戸市中央区内の龍花園ビル改修工事に従事し、はしご上で作業中に、約三メートルの高さから転落し、アスファルト地面に頭部を強打したことにより入院したが、同月七日、急性硬膜下血腫及び脳挫傷により死亡した。

6  被告代表者は、太郎が入院したころ、原告に対し、被告からの見舞金として六〇万円を支払った。

7  被告は、太郎の死亡により、平成八年二月一五日、大同生命から、神戸商工会議所を通じて、本件保険契約に基づく死亡保険金及び災害保険金計一〇〇〇万円の支払を受けた(本件保険金)。

8  太郎の相続人は、妻である原告のみであり、原告は、平成九年三月四日、被告を相手方として、本件保険金相当額を下限とする金員の支払を求めて神戸簡易裁判所に調停の申立をし(同庁平成九年(ノ)第一六三号)、同年五月六日以降、被告が出席して調停期日が開かれたが、被告が支払を拒絶したため、同年八月二一日、不調に終わった。

二  原告の請求及び被告の抗弁について

1  前記認定事実によれば、太郎が被告の従業員であった当時、本件保険契約(及びその以前の団体生命保険契約)の締結に際し、被告と太郎間で、被告が保険金を受給した上、業務中の事故の際の給与支払や損害填(ママ)補に充当し、残金は太郎ないしその相続人に引渡すことが合意されていた、そして、太郎が被告を退職後も、本件保険契約を継続することとされたが、その趣旨は、被告が受給した保険金から太郎が個人として負担する人夫賃や太郎が負う損害の填(ママ)補に充当した上、残額を太郎ないしその相続人に引渡すことに変更されたとの事実を認めることができる。

そうだとすれば、原告の主位的請求原因(死亡退職金等支払合意)を認めることはできないが、第一次予備的請求原因(引渡合意)及び抗弁1のうち精算合意があったことを認めることができるというべきである。

2  原告は、精算合意が団体生命保険の趣旨に照らして公序良俗に反する、あるいは、太郎の真意に反するものである旨主張する。しかし、太郎が前記認定した本件保険契約の目的・趣旨を了解して、被告を受取人とする本件保険契約について被保険者同意をし、さらに被告を退職する際にも太郎が希望して精算合意をした上で本件保険契約を継続したことは先にみたとおりであり、その目的は団体保険契約の趣旨に照らしても特に違法・不当とはいえないし、右合意に至る経緯に強制等の不当な行為が存在したことを窺わせるような事情を認めることはできない。したがって、右精算合意が公序良俗に反するということはできないし、また、太郎の真意に反するということもできない。

3  被告は、太郎の死後、同人が支払うべき応援人夫賃等として、(一)平成七年一二月五日、和商店に対し五八万七一〇〇円、(二)同月五日及び平成八年一月一〇日、創作舎に対し合計七〇三万八九〇〇円、(三)同年六月五日、佐藤電工に対し、一七五万一〇〇〇円をそれぞれ本件保険金から支払った旨主張するのであるが、右(一)の事実は、これを認めることができるものの(〈証拠略〉、被告代表者尋問の結果)、その余の事実は、証拠上、これを認めることはできない。被告代表者の供述中には、右主張に沿う部分もあるが、右供述部分によっても、被告代表者が、右(二)及び(三)の支払について、太郎が本来負担すべきものか否かを明確に認識していたものとはいえないし、その請求書(〈証拠略〉)も、それぞれの宛名が被告と記載されていることからも、被告代表者の右供述部分を裏付けるものとはいえず、右供述を採用することはできない。

4  したがって、被告の抗弁1は、五八万七一〇〇円の限度で理由がある。

5  被告代表者が、太郎が本件事故により入院したころ、原告に対し、被告からの一時見舞金として六〇万円を支払ったことは先に認定したとおりであるところ、右見舞金は、本件保険金の精算後引渡の一部履行と認めるのが相当である。したがって、抗弁2は理由がある。

6  そうすると、原告の請求は、結局、被告が受領した本件保険金一〇〇〇万円から右五八万七一〇〇円及び六〇万円を控除した残額相当の八八一万二九〇〇円の限度で認めることができる。

三  本件保険金の受取人指定の無効に基づく不当利得返還請求(第二次予備的請求)について

1  原告は、被告を受取人とする本件保険契約に対する太郎の被保険者同意は真意に基づかず、公序良俗に反するものであるから無効であって、原告が本件保険金の受取人とみなされるべきであり、被告の本件保険金の受領及び保持は法律上の原因に基づかない旨主張する。

2  しかしながら、太郎は、本件保険契約において、被告が受取人となることを認識して、被保険者同意をしたものと認めるのが相当であるのは先にみたとおりである。そうすると、仮に原告が主張するように、太郎が同人死亡後の原告の生活保障を図ることを考えていたとしても、本件保険金の受取人として被告を指定したことが真意に反するということはできず、他に本件保険金の受取人を被告と指定したことが無効であることを窺わせる事情を証拠上認めることはできない。

3  したがって、その余の点を判断するまでもなく、原告の不当利得返還請求は理由がない。

4  なお、原告は、太郎が、同人死亡後、本件保険金が原告に支払われてその生活保障を図ることができるとの強い期待権を有していたところ、被告が太郎の右期待に反し本件保険金の原告への支払を拒否していることは太郎の右期待権を侵害するもので、不当利得ないし不法行為にあたるとも主張するようである。

しかしながら、原告の主張する太郎の期待権は、それ自体法的保護に値する実質を有するものとは直ちには認め難い。しかも、仮に法的保護に値する実質を有するものだとしても、期待権とは通常一身専属的な権利と解され、太郎の死後の被告の対応がいかなる意味で太郎の期待権を侵害するのかも明らかではない。したがって、いずれにしても太郎の期待権侵害を理由とする原告の右主張は、失当である。

四  よって、原告の請求は、被告に対し、本件保険金の精算後の引渡として八八一万二九〇〇円及びこれに対する原告が被告に対し右金員の支払請求をした後である平成九年五月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六一条、六四条を、仮執行宣言につき同法二五九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 赤西芳文 裁判官 甲斐野正行 裁判官 井川真志)

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